芦原濱太鼓会-堺まつりふとん太鼓連合保存会-大阪府堺市

  • 芦原濱四代目ふとん太鼓
    最大の特徴としては黒檀の8〜9倍の価格のつく「黒柿の孔雀杢」を布団台、勾欄、力神、カラス天狗に採用しています。その他の特徴として戦後堺初となる跳ね勾欄の採用と町章紋や本体の彫刻などに芦原濱に伝わる神功皇后の伝承を取り入れています。 基本方針として「他所と違うものがいい」との考えから設計されており、跳ね勾欄の採用にあたり跳ね勾欄が持つ長所と短所を鑑み、太鼓台の最大の見所である狭間彫刻がインパクトのある跳ね勾欄と縁葛彫刻に負けてしまわないように本体の形状は淡路型ですが淡路型の基本バランスではなく様々な部分に芦原濱独自の寸法を採用しています。
    本体に使用された木材は黒柿、本紫檀、花梨、欅、黒檀を使用し井筒桁、組物、台輪桁、舞台柱と本紫檀の割合の多い太鼓台です。
    また布団の厚みとバランスには特にこだわり、本体と布団とのバランスが崩壊してしまわないように細心の注意を払い、大きさよりも見た目の美しさを第一に姿見のバランス良い太鼓台になるように心掛けました。

    本体請負・・・・・・・・井上工務店      房、金綱・・・・・・・・サカタ商店

    彫刻・・・・・・・・・・木下彫刻工芸      町章紋刺繍・・・・・・・・・・日繍 


  • 黒柿とは木の種類ではなく柿の古木から稀に出る突然変異です。それ故に非常に高価で特に孔雀の羽根の紋様と似た木目が特徴の「孔雀杢」は柿の木一万本に一本の割合で出るか出ないかである為、現在では黒檀の8〜9倍もの価格がついています。 現在、太鼓台に黒柿を用いたものは他に無く芦原濱四代目ふとん太鼓が日本で唯一の黒柿を使用した太鼓台となります。


  • 町章紋の大部分を占める鳥は名を鷁(げき)といいます。鷁とは神功皇后が三韓征伐のおりに用いた船の船首に取り付けられていたといわれる古代の風を司る瑞鳥です。 芦原濱は神功皇后が三韓征伐の帰りに住吉大社へ戦勝報告に参る際、上陸された皇后ゆかりの地であり様々な伝承が残っています。戦前に行われた「ぶんぶく踊り」に使用していた屋形船にも使用されていました。 他地域においても有名なもので例を挙げれば京都祇園祭りに出される船鉾(こちらも神功皇后の船がモデル)にも船首に鷁が取り付けられています。


  • 戦前の堺旧市内において跳ね勾欄の太鼓台の存在は残っている写真または他地域に売却された太鼓台の存在にて確認されていますが、この跳ね勾欄を持つ太鼓台は戦前に他所へ売却されたもの以外は全て戦災により失われてしまいました。跳ね勾欄の太鼓台は数が少なく大阪府下では数える程しか存在せず「他所と違うものがいい」との芦原濱の基本方針と合致するものでした。 勾欄合と縁葛の彫刻には忠臣蔵を採用し、勾欄各部に芦原濱に即した意匠の装飾を施しています。


  • 先代の太鼓台より引き続き使用している唯一の装飾品が芦原濱が「鬼面太鼓」といわれる所以でもある能面師「石倉耕春」氏作の能面です。 この面は当時の価格で数百万もした非常に高価なもので芦原濱の代名詞でもあり、これを超える隠し額は考えられないと引き続き四代目太鼓台でも使用する事となりました。

  • 正面「神功皇后三韓征伐」「神功皇后平産」
    右面「熊谷直実 敦盛を討つ」「若木桜の高札」
    左面「弁慶 奥州衣川の奮戦」「黄瀬川の会見」
    後面「大江山 木渡り」「大江山 酒呑童子退治」

    狭間と虹梁の上下で関連付けをしています。


  • 戦前に売却され某所に残っている堺型太鼓台の金具より現在使用されている紋とは別の三茄子の紋が発見され、開口神社に写真を持ち込み聞いたところ昔の祭器にも同様の紋があり現在でも結婚式場の案内の表紙にその紋を使用しているとの事でした。 なぜ三茄子の紋が二つ存在したのか、いつの時代から片方が使用されなくなっていたのかは平成の今となっては知ることは非常に困難な事ですが長い間人々の記憶より失われていた紋の存在を知った我々は芦原濱が使用する事により再びこの紋を世に出そうと考え、町章紋と本体には現在の三茄子と共に「もう一つの大寺御紋」を施しました。


芦原濱は平成24年ふとん太鼓奉納百年を迎え四代目ふとん太鼓に生まれ変わりました。四代目ふとん太鼓は太鼓台としては日本で唯一の黒柿を用いた太鼓台として誕生し、戦後堺初の跳ね勾欄の採用や先代から引き継いだ「鬼面一族」の隠し額、芦原濱に残る神功皇后の伝承からの彫刻や装飾など「色々な箇所に色々な工夫を」施した芦原濱らしい太鼓台です。