出島ふとん太鼓保存会-堺まつりふとん太鼓連合保存会-大阪府堺市

  • 顧問 相談役 世話人 会の長老、会の運営の相談所
    濱千鳥 会の運営管理
    実行委員会 会の運行管理
    青年団 祭に熱い若者集団。祭の仕掛け、盛り上げの要
    太鼓乗り 太鼓を叩いて歌を歌い、担ぎ手の息を合わせる
    うちわギャル うちわを扇いで担ぎ手に力風を与える
       
    会長 久保直樹
    実行委員長 西田哲雄
    團長 池田誠弥

  • 出島ふとん太鼓を語る前に、それ以前には出島船地車が存在し、それは豪壮な造りの暴れ地車であった。明治二十九年八月一日、出島船地車は住吉大社のお祓い祭りに曳行されていた。 この日の午後三時頃、包丁鍛治屋組の地車と中ノ町大道付近で衝突し、大喧嘩となった。双方は民家の屋根に登り瓦合戦となり、その時二名が殺傷されるという大惨事となった。 その魂は、現在も大日庵(出島町一丁)に手厚く葬られている。このような出来事があり、堺の地車は禁止となったが、その後明治四十年頃、八朔祭にふとん太鼓を担ぐことが本格的に許可され、 出島においては大正末期に漁師が船に乗り込み、ふとん太鼓を求めて淡路島の志筑へ行った。そして、船待神社所属として、大いに気焔を上げた。昭和十五年には、紀元二千六百年を記念して、 他のふとん太鼓と同様に担ぎ出されたが、これが最後の姿となった。昭和二十年七月九日の空襲により、太鼓庫に納められていたふとん太鼓と地車庫に納められていた船地車諸共消え去ってしまった。


  • しかしながら、戦後の昭和二十七年出島漁業協同組合の人々は、再び漁師たちの太鼓とする立派なふとん太鼓(二代目)を大阪四天王寺にある梶内だんじりより購入したと言われ、以来その勇姿を再現させた。 その後、昭和五十三年より一時中断したが、昭和六十三年に修復し十年ぶりに復活した。翌年の平成元年には第十六回堺祭りにも参加することとなった。平成二年には、二代目を売却し、当時堺で現在するふとん太鼓で、 一番大きく重いものを太鼓正より新調し、盛大に入魂式が執り行われた。隠し額は、以前の宝船を継承している。 平成五年十月十日には大阪の御堂筋を舞台とする『一九九三年御堂筋パレード(関西国際空港開港プレイベント)』に、日本全国から集まった各地の郷土芸能のうち、 地元大阪から堺まつりふとん太鼓連合保存会として、出島ふとん太鼓が勇壮華麗に担ぎ出され、日本中にその名を轟かせた。平成十年には法被を新調し、また平成十一年には、 出島漁港内にあった太鼓庫を出島三丁十三番地に建設する計画が実現に向かい、同年二月七日地鎮祭、七月十八日大安の日に、竣工披露を執り行った。


堺の太鼓を語るなら、赤い布団に金の龍、咲いた咲いたぜ房の華。マジで出島をよう見とけ。