榎太鼓会-堺まつりふとん太鼓連合保存会-大阪府堺市

  • 榎ふとん太鼓は、政令指令都市「堺」の中枢で、堺市役所・堺地方裁判所等が立ち並ぶ堺東・三国ヶ丘(仁徳天皇陵の北側)の地域にある榎校区自治連合会が運営しています。 戦前までは、方違神社の秋季大祭には瓦町・花田口・榎と三代のふとん太鼓を奉納していましたが、瓦町・花田口の二台は第二次世界大戦の空襲で焼失したため、今では榎ふとん太鼓が方違神社に宮入する唯一の太鼓台であり、 堺東に最も近い地域で運行される太鼓台としても知られています。

    ※ 榎ふとん太鼓
    http://homepage3.nifty.com/enokijichikai/

  • 榎ふとん太鼓の氏神様である方違神社の秋季祭礼は、いわゆる明治時期の「堺の地車騒動」以前には「だんじり」が宮入りされていたと伝えられていました。 2004年には和歌山県橋本市の先代「市脇だんじり」(傘のだんじり・彫師 西岡弥三郎 として知られていました)の大屋根の中から、百年前の方違神社のお札が発見されました。

    初代太鼓台は、明治42年頃の購入の堺太鼓で、飾りは大入り袋とし榎青年団の旗を太鼓台に掲げる豪壮な太鼓台で知られていました。この初代太鼓台は昭和5年頃に瓦町に売却され、代わって二代目太鼓台として、 重量感のある淡路太鼓を購入しました。これは当時榎では馬力引きや素人相撲衆など力自慢が多かった為であると言われています。

    昭和7年頃、阪南地区青年団の素人相撲があった時、榎出身の十両と言われる大碇(おおいかり・森政治三夫)の旗を太鼓台に掲げて気勢をあげていたことが、今も語り草とされています。 飾りは初代太鼓台と同じ大入り袋と榎青年団の旗を掲げていました。昭和58年の大改修では「榎」のマークを入れ、ふとんの斜線も美しく、大房、金綱も豪華となりました。 法被も方違の御紋の三つ巴と木瓜重ねを採用新調し、平成9年より「榎太鼓会」を「榎校区連合太鼓会」と名称を改め、榎校区の太鼓台として、方違神社の秋季大祭及び堺まつりに活躍していました。

  • 堺市の中心部として都市化が進む中、補修・担ぎ手の確保など太鼓台の維持運営には大変な苦労が伴っていました。老朽化した太鼓台を改修するのか?新調するのか?という永年の課題がありましたが、 地域の伝統を次世代につないでいこうという呼びかけに、多数の校区住民・企業の寄付が寄せられ、平成18年度、念願の新調に至りました。 政令指定都市「堺」の初の太鼓台として「榎ふとん太鼓」は新しい太鼓台の歴史を作って行きます。

榎ふとん太鼓は、榎校区自治連合会の中に榎太鼓会・榎青年團を組織し、地域一体となって運営しています。祭りが地域の世代間交流を生み、人々の絆を保っています。 また、榎小学校・三国丘中学校の先生達の協力を得ながら、祭りを通じて青少年の健全育成にも努力しています。